日本遺産~近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-
平成27年に文化庁より咸宜園、廣瀬淡窓旧宅、長福寺、桂林園跡、豆田町などが近世日本の教育遺産群として、茨城県水戸市の『弘道館』、栃木県足利市の『足利学校』、岡山県備前市の『関谷学校』と共に日本遺産の第1号として認定されました。
咸宜園(かんぎえん)
廣瀬淡窓が開いた私塾で、文化2年(1805)に豆田町の長福寺で開塾、その後『成章舎』『桂林園』と、場所や名称が変わりながら文化14年(1817)に現在地に『咸宜園』を開きました。「咸宜」とは中国最古の詩集『詩経』にあり、「ことごとくよりし」という意味で、身分の隔てなく個性を尊重する教育が行われ、明治30年(1897)の閉塾までに全国66カ国以上から5千余人学んだ江戸時代最大規模の私塾です。門下生には大村益次郎(兵学者)高野長英(蘭学者)清浦奎吾(内閣総理大臣)上野彦馬(写真家)などが名を連ねています。
廣瀬淡窓(ひろせ・たんそう)1782~1856
江戸時代の儒学者、教育者、漢詩人。豆田町の博多屋三郎右衛門の長男として生まれ16歳の頃に筑前の亀井塾で学んだ後、帰郷して文化2年に豆田町の長福寺で開塾(後に桂林園、咸宜園に発展)します。 身分や階級制度の厳しい時代にありながら、身分・年齢・学歴を問わない「三奪法」による平等な教育と、毎月の試験による「月旦評」(成績表)で学力を競わせる実力主義教育の一方で、全員が職務を担当する「職任」制度で人間性や社会性を育てました。代表的な漢詩に、桂林荘雑詠示書生「休道の詩」があります。秋風庵(しゅうふうあん)
咸宜園の塾主 廣瀬淡窓の祖父、月化が天明元年(1781)に建てた居宅で後に淡窓も使用しました。~日本遺産に因んだ 天領日田銘菓のご紹介~
かんぎえん
日本遺産に認定された教育史跡『咸宜園』を偲んで創製いたしました。
白い皮は日田の底霧、抹茶餡は緑の自然、、咸宜園で育った人材を栗の実にたとえた銘菓です。
秋風庵
教育者の廣瀬淡窓が過ごした住居の名称です。抹茶の風味をお楽しみください。
豆 田 町